プロフィール
はじめまして!
チームビルディング専門の
鵜飼康史(うかいやすふみ)と申します。
Webページを見ていただき、
本当にありがとうございます。
このWebページでは、
『チームビルディング』
についてご紹介していきます。
チームビルディングとは
同じ一つのゴールを目指し、複数のメンバーが
個々の能力を最大限に発揮しつつ一丸となって
進んでいく。
そうした効果的な組織づくりや、チームを
まとめる手法をいいます。
コーチングやファシリテーションなどとともに、
リーダーに求められるマネジメント能力の
一つとして注目を集めています。
出典:『日本の人事部』より
私の人生はチームと共にあったと
言っても過言ではありません。
正直、一人では何もできません。
しかし、多くの人はそうではないでしょうか。
一人でモチベーションを維持し、
成功し続けることなどほぼ不可能です。
チームというのはスポーツ選手に限ったことでは
なくビジネスや医療、大規模プログラムや
ものづくり何においても重要視されてきています。
チームビルディングでチーム力を高めることが
できればどんなことが起こるのでしょうか。
・一人ひとりの負担が減る
・時間をより効率的に使える
・一人では不可能な目標が達成できる
・助け合いの精神が生まれる
・コミュニケーション力や課題解決力など
個々のスキルを向上することができる
チームが機能すれば、一人ひとりが
大きく成長することができ、一人では
達成できなかった大きな目標を達成する
ことが可能になります。
なぜチームビルディング専門家になろうと思ったのか
私の人生を思い返してみるといつも
チームがありました。
もちろん単独で取り組むこともあったのですが、
その時は自分自身大きく成長することが
なかったため、心に残っていません。
チームに所属し、チームと共に成長し、
目標を達成し、大きな成長を遂げたことが
私の人生の宝になっています。
人生の宝になっているチーム経験
挫折と一つの目標を達成した母校のサッカー部を
指導した経験についてお話します。
サッカー経験たった1年でチームを指導!?
私は小・中学生時代、ぜん息で体が弱く、メガネを
かけていていたため、オタクのようなひ弱な感じでした。
体を動かすのは好きで、小学校時代の放課後は
サッカーや野球などをしていましたが、少年団に
入って活動することはありませんでした。
中学校になってサッカー部に入ろうと思いましたが、
友人が、
「サッカー部の1年のときはひたすら走らされるだけらしいで」
というのを聞き、母も部活なんかせんでええ、という
感じだったのでどこの部にも所属しなかったため、
帰宅部でした。
ただ、医者からは
「ぜん息を治すためには体力をつけないといかん。
体を鍛えなさい。」
と言われたため、自主的に長距離を走るようになり、
また通っていた塾の塾長が体を鍛える趣味が
あって塾の一室にベンチプレスの機器があった
ので、それを使って体を鍛えました。
中1から体を鍛えはじめ、卒業するころには
ベンチプレス70kgを10回できるようになり、
長距離では1500m走では帰宅部でありながら、
学年8番になり、喘息も克服しました。
高校に入っても特に部活には入らず、バイトなどをして
ダラダラと過ごしていました
バイトの先輩から、
「お前、なんでそんないい体してんねん。
ちょっと腕相撲しよか。」
と言われ、腕相撲をした結果、その先輩に
勝ってしまったのです。
「ラグビーやってる俺に勝てるとはなかなかやな。
なんも部活入ってないんやったら俺が入っている
社会人ラグビー部に入れ。」
と言われ、半ば強引に入部させられ、2年間続けました。
その後、専門学校に入り、ラグビー部がなかったため、
サッカー部に入りました。
私が入部したときは、たまたま同学年のメンバーに
国体に出たことある、全国大会に出たことがあるなどの
メンバーが数人入部したため、非常にレベルが高い
チームになっていました。
私はサッカーは下手でしたが、持ち前の体力と腕力、
粘り強いデフェンスとラグビー仕込みのフィジカルで
3バックのストッパーになり、相手チームの
エースキラーとして3ヶ月でレギュラーに選ばれました。
1年後、キャプテンを決めることになり、授業の関係で
ミーティングに遅れて参加すると、もうキャプテンは
決まった、という話しでした。
なんと私が選ばれていたのです。
「一番下手なやつを選んでええんか?」
と聞くと、
「お前はガッツがあって、一番声を出して、チームの
ためにやれるやつやから、満場一致でお前に
キャプテンをやってもらう。」
とのことでした。
これまで部活もやったことがないやつにキャプテンを
させるなんて、とは思いましたが、同時にとても
嬉しかったことをよく覚えています。
サッカー部の仲間は本当に素晴らしいやつ
ばかりで、とにかく楽しいの一言でした。
私は考えました。
このまま就職してもつまらない。
このサッカーを続けていくことはできないか。
選手としてはとても無理だよなぁ。
と考えながら、本屋でサッカーの本を立ち読み
していたとき、『サッカーの指導者』という言葉が
飛び込んできました。
「これだ!」
そう思ったら、いても立ってもいられず、全力で
考えた結果、母校の中学校のサッカー部指導者に
なるのはどうか、と考えました。
すぐに母校に電話しました。
「サッカー部の顧問の先生とお話ししたい
のですが、いらっしゃいますか?」
私は顧問の先生にサッカー部の指導者に
なりたいことを伝えました。
「わかりました。一度話しがしたいので、
こっちに来てもらえますか?」
私はすぐに向かいました。
久しぶりの職員室に入り、顧問の先生に
経緯を話しました。
「直接話を聞けてよかった。
私は柔道しかやってないから、サッカー経験者が
来て指導してくれたら助かるよ。」
ということでサッカー部のコーチをすることに
なったのです。サッカー経験はわずか1年でした。
半年間まったく成果が出ず、辞めようと思った
コーチになってしばらく練習を見ていました。
そうするとサッカーの技能には関係のない
練習が多いことが目につきました。
「もっと技術的な練習をたくさん混ぜ方が
いいに決まっている。よし!早速メニューを変更だ!」
私はほとんど説明することなくメニューを変更しました。
「これを続けていけば必ず技術が上がり強くなる」
そう確信して続けました。
しかし、確かに技術は上がったのですが、
練習試合などをしてみると勝てない。
どうしても勝ちきることができませんでした。
私はそれを部員たちのせいにしました。
「試合に勝てないのはお前たちが練習を
しっかりしないからだ」
いま考えたら本当に恥ずかしい、
申し訳ないことです。
半年経ってもそれほどチーム力は
上がりませんでした。
それに部員たちの心も離れていっている
ように感じました。
「もう辞めようかな」
そう思いました。
でも、もしここで辞めたら俺の人生はどうなるのだろう。
好きなことをやってみようと思って始めたのに、
もしここで辞めてしまったら何も続かないんじゃないか。
そう考えました。
もう一度挑戦しよう。
まだやれることがあるはず。
そうだ!指導者の本を読んでみよう!
これまで技術書の本は読んだことはあったのですが、
指導者が書いた本は読んだことがなかったので、
それらの本を読むことにしたのです。
バスケットボールのフィル・ジャクソンの本や、
野村監督の本など、名将と呼ばれる方々の
本を読み漁りました。
私は衝撃を受けました。
名将たちと私の考えは180度違っていたからです。
もっとも印象に残ったフレーズはどの本に
書かれていたのか忘れてしまいましたが、
このように書かれていました。
負ければ監督の責任。
すべては監督が背負わなければ
いけないのだ。」
私とはまったく違っていました。
ここで実績をつくって上に行ってやるぞ。
負けるのは俺が悪いんじゃない。
ちゃんとした練習メニューを
組んでいるんだから、それをやらない
選手が悪いんだ。
そう考えていた私は自分が恥ずかしくなりました。
と同時に、もう一度やり直そう、自分を変えよう。
そう誓いました。
私はそれ以降、なぜこの練習をするのか、
また皆はどう思うか。
試合の後、出来なかったことを指摘するのではなく、
皆は何を感じたのか。どんな練習が必要か。
よく話し合い、部員たちに考えてもらうようにしました。
出た意見は積極的に取り入れ、また指導者側から見た
視点についても述べ、だからこの練習が必要だ、
というようにして話し合うようになりました。
そして何よりもまずサッカーを好きになってもらおうと
心がけ指導するようにしました。
誰かの本で、
について書かれてあり、それにとても感銘したからです。
また道具を大切にすることも伝えました。
伝えたというよりも、まず私がスパイクを磨くところから
はじめました。生徒たちから
「なんで急にスパイク磨き出したの?」
と聞かれ、
「サッカーはスパイクが命やのに、
俺は大切にしてなかった。
反省してんねん。
お前たちも大事にしたらええぞ。
きっと親はそれが嬉しいからええスパイクも
買ってもらえるし一石二鳥や。」
と伝えました。
そこから皆がスパイクを磨くようになりました。
ある日の試合の後、生徒のお母さんから
呼び止められました。
「うちの子がスパイクを急に磨くようになって
ビックリしてるんです。道具を大事にせえ、
と教えても全然しなかった子やったのに。
どうやって教えたんですか?」
そんなことを積み重ねていくうちに
チームは目に見えてどんどん力を
つけていきました。
あまり長い時間練習するのも効率が良くない、
と思い、早めに練習をやめようと声をかけたら、
生徒たちから、
「なんで辞めるねん!まだ日は明るい!
もっと練習しようや。俺たちはうまくなりたいねん!」
と言うのです。これは絶対強くなると確信しました。
様々な試行錯誤を繰り返し、3年もかかって
しまいましたが、全国常連のチームを破り
地区大会の優勝を勝ち取ることができました。
部員たちは頑張ってくれました。
顧問の先生は私の指導に何も言わず、
いつもフォローしてくれました。
親御さんたちは保護者会を結成してくれ、
サッカー部を最大限フォローしてくれました。
3年前は練習試合を含め、1年間、1勝も
できなかったチーム。
そんなチームが一つとなって大きな成果を
得ることができたのです。
本当に素晴らしい経験でした。
私一人では絶対に達成できない
目標を達成することができました。
私はその経験のおかげで就職してチームを
組むことになっても何をどうすればよいチームに
することができるのかわかるようになったのです。
営業のチームを組むときにも大いに役にたちました。
新規事業立ち上げで十数人の部下を抱えて
やるときも、大変なこともありましたが、乗り越える
ことができ、事業も軌道に乗せることができました。
それもこれもすべてはあのサッカー部コーチの
経験のおかげです。
そして今、私はこの経験を最大限に活かしたいと思い、
チームビルディング専門家としてやっていこうと
決めたのです。
急にチームを任されたけど、どうしていいかわからない…
組織を立て直すために何からすればいいかわからない…
そんな悩みを持った方。そんな方とともに
一緒になって考え、サポートをします。
私の喜び、夢
私はスポーツを見るのが好きです。
また経営不振だった会社が盛り返し、
結果を残した話も好きです。
好きなのは、その背後にあるドラマです。
その背後には、さまざまな葛藤や
苦難を乗り越え、チームが一つと
なって乗り越えた話があります。
そこから学ぶことがとても多く、
また心を揺り動かされるからです。
私はそんな体験を何度もしてきました。
だからこを多くの人にこの体験を
してほしいですし、またその手助けが
したいのです。
私の夢は「本を書くこと」です。
私は本によって救われました。
1冊の本から様々なことを学び、
私の人生を豊かにしてくれました。
私もそんな本が書きたい。
人に勇気を希望を与える本が書きたい。
その夢を叶えたいです。
私の好きなことなど
1975年11月8日生まれ。
大阪府大阪市生まれ。
生まれて間もなく神戸市北区の自然豊かな
場所で小学4年生まですごす。
小学4年生に大阪市に引っ越し。
現在は西宮市に在住。
25歳で結婚。
新婚旅行はイタリア。ローマ、フィレンツェ、
ベネツィアを10日間で周った。主に美術館や
旅行者が行かない普段の街巡り。
子供は娘3人。長女は28歳の時に誕生。
女性4人で男性1人なので、
いつもにぎやか。
家族が大好き。
性格は真面目、熱い、感動しやすい、最近
涙もろい。
好きなものはチームについての研究や
本、論文を読むこと。
ITに触れること、新しいことを知ること、
ワンコ、読書、ゴルフ、合気道。
苦手ななものは、高圧的な人。
好きな言葉は、「ありがとう」「おもう」。